ジャガイモ飢饉

怠惰で強欲で傲慢な底辺ニートの戯言

仮面残留へ至る道

 仮面失敗!wとか言ってる場合じゃありません。ガチでやばいことになりました。どうしてこうなってしまったのかを、1年を振り返りつつ反省します。

 

1、同志社入学〜應援團入部

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↑この頃に戻りたい

 去年は、京大法学部に出願した。京大文系では法学部が一番最低点が低い。学部は気にせず、確実に受かるための選択をした。しかし結果は不合格。大人しく併願校の同志社へ進学することに。色々愚痴を言っていたが結果は変わらないので「同志社に馴染む」これを胸に大学進学した。部活は、せっかくなら面白そうな部活に入ろうと思い、応援団に入った

 

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↑応援団時代の私

 

2、応援団退部〜夏休み

 だが、応援団はかなり厳しい部活だった。近畿圏の応援団で1番強い応援団だけあって、その活動内容はあまりにもしんどかった。人生で一番厳しい時期だった。内容は思い出したくない。そんなこんなで応援団は6月にはやめた。

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↑応援団部室の写真

 その後は、かるたに興味があったため競技かるた同好会に入った。最初の方は結構参加した。だが、高校からかるたをやっていた人など上級者があまりにも多かったことから、周りについていける気がせず、(あと男がガチで少なかった)夏休み後半から行かなくなった。また、応援団を辞めてからは、個別塾でのバイトも始めた。でも、なんだかんだ大学で少しずつ友達もでき、少しずつ大学に馴染んでいった。

 

3、仮面開始

 大学に入ってからの日々はあまりにも怠惰すぎた。目先の目標もなく、ダラダラと毎日を生きていた。ふと、何かに熱中したいと思った。再受験をしたいとこの頃から思い始めた。また、業界研究をするという授業があったのだが、ここで私は同志社の就職の実態を知った。同志社の就職の実態は意外と渋い。将来の選択肢を広げるという意味でも本格的に京大再受験を考え出した。そして夏休みに京大再受験を親に請願した。

 9月から近所の有料自習室を契約して本格的に受験勉強を開始した。後期は週2でしか大学に行かなかった。大学がある日は、授業終わりに自習室へ直行、大学がない日は8:30-19:00まで自習室で勉強するという生活を続けた。10月にバイトを辞め、ここからはいよいよ全てを勉強に捧げた。勉強期間が半年しかないため、時間がない一方で、この短期間に一極集中すれば受かる可能性が十分あると考え、全力で仮面浪人に臨んだ。

 

4、受験到来

 志望学部は総合人間学部。国社をそこそこに仕上げて英数で押し切る戦略を早めに定め、その通りに勉強した。多分この戦略は間違っていなかったと思う。1月当たりから本格的に緊張しだした。共通テストの結果は128/150(総人配点)。若干ビハインドを背負ったがこれは想定内。足切りはまぁ大丈夫だと思った。通スト終わりから2次試験までの期間は、アホみたいに勉強した。学力が急激に伸びるのを実感した。最終本レや河合直前プレでも無双し、直前期は正直いけると思っていた。

 

5、受験当日

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↑当日は大雨で寒かった

 

 前回や前々回とは違い、死ぬ気で取り組んだため、文字通り京大受験生として遜色ない学力をつけて本番を迎えることに成功した。自信をもって試験会場へ向かった。気持ちの面で余裕があったので試験1科目目の国語はかなり良くできたと思う。

 午後からは数学。試験開始と共に、リラックスして問題を解き始めた。しかし、ここで問題が起こった。試験開始1時間経過時点で、1問も解けなかった。これは全く想定していなかった。頭が真っ白になった。正直終わったと思った。ここ3年の京大文系の傾向を見ると、総人に受かるためには他の科目でどこまで跳ねようとも数学では最低でも3問を合わせる必要があると計算していた。そのため、1時間時点で解答用紙全白紙は不合格確定を意味していた。だがそれでも諦めてはいけないと思った。気合いで1問解き切った。しかし解き切った時には残り期間はわずかしか残っていなかった。最後まで異次元の粘りを見せたものの、どれも完答するには至らず、部分点狙いの記述にとどまるだけだった。

 試験後は何も考えられなかった。絶対落ちたと思った。試験前はかなり自信があったのにこんなに早く状況が変わるとは思っていなかった。これは私の落ち度なのだが、模試でも数学は得点源だったので数学で大コケすることは一切想定していなかった。

 2日目は緊張もクソもなかった。早く終わってくれと思いながら試験を受けていた。まぁそれも相まって英語社会は普段の実力が出せたと思う。良いんだが悪いんだか。こんな感じで私の仮面浪人生活は終わりを迎えた。

 

6、受験終了後

 すっかり燃え尽きた。何をする気力もない。怠惰な時間をひたすら過ごした。将来についてをずっと考えていた。2週間で大回り3回やった。

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↑大回りで大雪遭遇in近江塩津

 

7、反省

 数学で全てを失ったとしか思えない。浪人界隈を見ていると、私と同じように数学激難化を嘆くツイートで溢れている。

 ここで疑問なのだが、今年数学が難化したという主張は果たして正しいのだろうか、考えてみよう。今年の京大文系数学の全体に言えるのは「パッと見平易に思えるけどいざ解いてみると上手く解けなかったり、計算がかなり煩雑な問題」の集まりだったということだ。だがよく考えてみればこれこそが本来の京大数学ではなかろうか。思い起こせばここ3年が異常だった。高1でも解ける定積分が出題された2021、脳死計算で解けるベクトルが出題された2022、そして1-(5/6)nの2023。ここ3年の京大数学が平易すぎただけだったのかもしれない。ここ3年の京大数学は本来の京大数学の形とは大きく異なっていた。この“偽りの京大”を信じ込んだ我々受験生が煩雑な問題の演習を怠った結果、皆揃って爆死しただけなように思われる。そう、京大は何も悪くない。ただ受験生が悪いだけな気がする。

 要するに何が言いたいかというと、今年数学が出来なくて落ちたやつは、お前自身が悪いってこと!!!俺も含めて!!!!!京大に責任転嫁すな!!全部自分が悪いんだ!!!!!

 

8、今後について

 本音を言えば受かるまで京大を受験したい。“京都大学総合人間学部“には私を惹きつけるものがある。しかし私は3年連続で京都大学に落ちている。これは何か決定的な問題があるはずだ。なのでその問題を解き明かし、具体的な対処法を見出して問題を改善するまでは再受験はしないつもりだ。

 また、わたし自身視野が狭くなっている節もあると思う。しばらく大学受験から離れようと思う。最近資格勉強を始めた。また、私は海外留学もしてみたい。加えて、大学では新たなサークルに入り、交友関係を増やしたい。

 

故郷へ帰った

 私の生まれは彦根だ。今月末で20歳の誕生日を迎えるわけだが、最後にこの春休みを利用して自分のルーツをたどりにいった。私の記憶に微かに残る場所を一通り巡った。

 

1ビバシティ彦根

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 4階建てのショッピングモール。1、2階は食料品店や洋服店が、3階は巨大ゲーセン、4階は映画館やボーリング場が並んでいる。もうこれ1つで全て完結している。4階のボーリング場がまだ健在で懐かしく感じた。写真には映っていないが、ドライブスルーのスタバが出来ていた。ちなみに彦根にスタバは4店舗ある。おかしい。

 

2、庄堺公園

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 私の中の最古の記憶はこの公園の景色だ。昔は馬鹿でかい船の遊具があった。それがバックに映っている写真が手元に残っている。しかし、私が行った時にはその船の遊具は無くなっていた。結果平日の昼間に一人で公園を見にいっただけ。これじゃ不審者である。

 

3、彦根城

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 幼稚園が彦根城の堀の中にあったため、(私は聖ヨゼフ幼稚園中退である)彦根城の記憶も沢山残っている。

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 ひこにゃん。ブームが来る前、近所のおばちゃんがひこにゃんの中身だったのは地元では有名な話。久々に実物を見た。

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 彦根城玄宮園から臨む。彦根城周辺の公園の記憶もあるのだが、全部撤去されてた。悲しかった。

 

4、彦根駅周辺

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 私がかつて住んでいた住居の最寄りは南彦根駅だった。そのため彦根駅の記憶は全くないが、せっかくだし彦根駅周辺を散策してみた。実際に散策してわかったのは、駅前はびっくりするほどさびれているということだ。駅前には平和堂河合塾マナビスしかなかった。商店街もほぼ全て閉まっている。昔は栄えていたはずだ。彦根より南彦根の方が栄えてるように感じた。

 

5、感想

 私が彦根にいたのは幼稚園の間だけだ。正直言って、ほぼ記憶はない。かつて住んでいた住居周辺も訪れたが、ホントにこんな所に住んでたか疑心暗鬼になった。

 それはそれとして、旅をすると気分がリフレッシュされた。今後も定期的に旅をしよう。

 

今年見たドラマ備忘録2023

1、はじめに

 去年に引き続き、今年見たドラマの備忘録を残しておく。せっかく見たのに内容を忘れてしまっては何か勿体ない気がする。とはいえもう既に大半内容忘れてしまっているのでだいぶ中身適当です。それでは本題へ。

 

2、ドラマ備忘録

2-0ドラゴン桜

 詳しくはこちらをご覧ください  https://hyrook.hatenablog.com/entry/2023/03/31/184818

2-1 NICE FLIGHT!

  CGがアホみたいに雑でした。面白いとも面白くないともおもいませんでした。飛行機の整備の仕事とかおもしろそーとか思ったけどよく考えたら自分文系でした。

 

2-2Get Ready!

 代ゼミで姜先生が「このドラマおもろいから受験終わったら見いな〜」と紹介していたので受験終了後に即鑑賞。親はしょうもないと酷評し、実際メディアでも対して取り上げられてなかった。このように、話題にすらならなかった作品だったが、私は毎話没入していた。當間あみがひたすら可愛かったし妻夫木聡がひたすらカッコよかった。内容も面白かった。厨二病作品だったね。だが最終回がやたら雑だった。ネタバレすると最終回は藤原竜也だけ逮捕されますが即解放されてハッピーエンド♪っていう内容です。そんなのありかよ!!!

 

 

2-3大病院占拠

 

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 ぐんぴいがレギュラー出演していたドラマ。手に汗握る展開で面白かった。ちなみにソニンさんが真犯人です。

続編も放映されるようですね。楽しみです。

 

2-4マイファミリー

 去年のドラマなのでほんとに誰も覚えてないと思います。受験終わったんで一気見。なんか内容重いし見ててしんどいし長ったらしいなって思った。ネタバレするとサンドウィッチマン富澤が真犯人です。

 

3、まとめ

 捻くれてるせいで流行りのドラマ一切観てません。自分の興味あるやつだけ見てた。そしたら誰とも話出来なくてオワオワリ^^

 大病院占拠2期楽しみです♪

 

悔やんでも遅い

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↑サムネ用





 従兄弟が某旧帝大の大学院に合格した。まことにおめでたい話であるが、私にとってこの知らせは、素直に受け止められるものでは決してない。


 私にとって従兄弟は、完全な上位互換だった。従兄弟は、小学生時代にオセロで都道府県内1位を獲得するぐらい頭がよかった。中学受験をし、某超有名最難関中学に合格。その学校の中でも学年2位を取ったことを昔聞いた記憶がある。私との相違点は勉学面だけではない。彼は明るい性格で、また話も面白い。そして友達も多い。特に空気を読む能力が高い。完全に私の真逆の存在である。以後彼は大学受験でも無双し、某最難関旧帝大へ首席合格した。


 話は変わるが、私は掘り下げていくと自分に自信がない。私の記憶する限りでは中学受験期にこの敗者メンタルは養われてしまったのだが、この“ハイスペック従兄弟”がこの私の深層心理を形成せしめた要因の1つであることは確実だろう。身近に自分より遥かに上の存在がいることは、私の自尊心を酷く傷つけるだけでなく、私を捻くれの道へと誘った。特に小学校時代の私は今思い出しても鳥肌が立つほどにひどく捻くれていた。当時の私は敗北を、現実を、そしてなによりも自分自身を受け入れられなかった。



 さて、大学受験も(一応)ひと段落したことだし、この長期休暇で私はこれまでの人生について振り返ってみた。すると、私のこれまでとってきた選択のほとんどには「自分は敗者側だ」という潜在的な敗北意識が含まれていることに気がついた。



 大学に入って、大学入学以降はとくに、自分の選択が今後の人生を左右するということに気がついた。大学入学前まで怠惰で堕落に満ちた生活を送っていたために、私はこんな当たり前のことに、19歳になるまで気づかなかった。いま私は今後の人生について大きく不安を抱いている。なぜならこれまで私が歩んできた道は自分自身の本心に基づく選択の結果ではないからだ。自分を過度に過小評価した結果の、偽りの自己の選択の積み重ねが今の自分を作り上げている。


 思えば自分の意思で大きな選択をとった経験がなかった。個人的に大学受験は自分の意思で志望校を選んだつもりだったが、実際にはその裏には親へのささやかな反抗があった(親は私に高学歴な大学に行けなど言ったことはなかった。むしろ産近甲龍レベルでもいいといった調子なくらい、大学受験に無関心だった)。



 もしもう一度大学受験ができるなら、余計なことを考えずに、自分が心の底から「行きたい!」って思える大学を目指して必死に勉強するよな。これができるのならば、どんなに嬉しいことだろうか。浪人期に代ゼミのMiracleTactics寺尾政晃先生がおっしゃっていた「勉強できる幸せを噛み締めてほしい」という言葉がふと蘇ってきた。でもこんなこと、ずっと前からわかっていたさ。

春学期終了

同志社大学に晴れて(?)入学し、早くも春学期が終了した。備忘録を残しておく

 

0、プロローグ

 共通テストは762点(京大配点)を記録し、最高の幕開けとなった2023シーズン。志望校を総人から法学部へ変更し若干計画は狂ったものの、同志社立命館をノー勉で無傷突破し、京大入試へ最高の調子で臨んだ。しかし数学大門2を解いている最中にパニックになって頭が真っ白になり見事大爆死。自分の力を過信しすぎていたこともあり47点差というこの上ないまでの大差落ちだった。全力で戦えなかったことを悔やむと共に京都大学という『関西最難関大』に挑むには自身の取り組みが甘かったことを身に染みて実感。生活習慣や勉強諸々への甘えた態度、なによりも自らの傲慢さに溺れ続けた浪人生活はあっけなく終了した。

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↑数学云々というより全体的に点低いから何やっても落ちてたっぽい。ちなみに英作の「情けは人のためならず」のことわざの意味知りませんでした。

 

 

 

1、時の流れが異常に早い

 去年浪人していた時は時の流れがあまりに遅いことに苛立ちを覚えていたが、今年は真逆だ。文字通り時の流れが非常に速かった。あっという間に春学期が終わった。

 

 

 

2、湧き上がる未練

 京阪電車を使っている人は分かると思うのだが、実は京都大学同志社大学の最寄り駅は同じだ。出町柳駅を降りて東に向かうのが京大生、そして西に向かうのが同志社生だ。そのため、入学当初は本当に毎日鬱になりながら登校していた。

 

 正直こんなつまらない感情は1ヶ月もすれば消え失せると思っていた。しかし現実はそう甘くなかった。部活やサークルで京大生と交流するたび、授業や何かしらの機会で京大の名前を聞くたび、寒梅館で京大生をみるたびに、私はなぜか悔しさを覚えてしまっていることに気づいた。いまだに私の心の奥底には京都大学への未練が残っている。

 

 だが、これは果たして学歴コンプレックスなのだろうか?多少そういう側面はあるだろうが一概にはそうはいえないと思う。学歴はその人の能力を測る指標だとはよくいったものだ。私も全く同意見である。私は人と会うたびに、どこか人をそういう目で見てしまうような体質になってしまった。これは本当に良くないと自分でも思っている。私は受験に敗北したとと同時に、純粋さをも失ってしまったようだ。

 

 

 

3、思っていたものと違う

 大学生活が面白くない。面白くないというよりかは、去年の浪人生活の時に私たちは幻想を抱いていたのかもしれない。おそらく大学というものに極端にすごい何かがあると思っていたのだろう。今から考えるとまったく馬鹿げた話だが、浪人期の日記を読んでいると、私が大学に高望みをしていた過去がそこには残っていた。

 

 ほかに、学部選びが適当すぎたという面もある。同志社大学の政策学部に在籍しているが、ここで学んでいる内容の全てについて全く興味がない。適当に出願したらこの大学へ行き着いた。浪人期の私は京都大学に落ちるとは1ミリも思っていなかった。教師や担任の前では弱気な姿勢を見せていたが、本心では確実に受かると信じていた。

 

 

 

4、危機感

 言ってしまえば当たり前だが、小中高、そして予備校はやることが決まっていて、それをこなせばどうにかなっていた。しかし大学はそういう面では何も決まりがない。授業に行かなくたって罰則があるわけでもない。単位を落としたからといって教師に叱責されるわけでもない。今の私は完全に堕落しきってしまった。私は将来特に何かがやりたいわけでもない。目的のない日々を消化する毎日。今後の人生について非常に危機感を覚えている。

投影

帰省しました。その時の記録です。以下本編。

 

1、姫路市水族館に行った。

 魚が見たかった、というのは建前。ホントの理由は姫路モノレールの展示を見たかった。これホント意味わからないんだけど水族館の中にモノレールの展示があるんだよねここ。変わってるよね。

 

 私は以前から姫路モノレールに興味があった。しかし私には姫路モノレールに関する文献は非常に少ないように思われる。他に廃線になった路線よりも、映像やその他の記録が非常に少ないと思う。1960年代に作られてたった8年で廃線になった路線だもんね。だから記録が少ないのも分からなくはないけど。まぁとにかく、このモノレールについて詳しく知るためには展示を見に行くしかないと前々から思っていた。なので今回帰省のタイミングで展示を見に行けたことは非常に嬉しかった。

 

 展示内容としては、実際に使われていた運転台や運賃表などがあった。また、車両そのものがホームと共に当時のまま展示されていた。これはとても貴重なものジャナイカ!私は心の中で興奮しっぱなしだった。しかし周りを見れば、他の客はあまり足を止めることなくモノレールの展示コーナーを通り過ぎていった。人によって価値観は違うから展示に興味がある人とない人がいるのは当然だが、何だかあっけなく思えた。だってこのモノレール、日本で2番目に作られたモノレールなんだよ😾しかも現物そのまま展示してるなんて、こんなのなかなかないよ!うーん、まったく😠世間の人は勉強意欲がなさすぎる‼️😤😤😤

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↑思ったより車両小さかった。3両編成フルでの展示。車内も見学できて非常に良かった。

 

以下水族館編。

 

 魚とか見ると精神的にいいよね。結構じっくり鑑賞してました。

 

 特筆するなら、ゲンゴロウミズカマキリといった、図鑑では見たことあるけど実際には見たことない水生生物を見れてよかったな。ミズカマキリって思ったより小さいんだね。こいつらは絶滅させてはいけない☆彡

 

 

 あと、せっかくならと、ウミガメに餌やりするショーも見た。大半のカメは(お客へのサービスなのか)餌が水槽へ放り込まれるとそれに勢いよく食いつく。カメは結構大きいものだから水面に飛び込むと水がどっばーんと音をたてる。その音が結構大きいものだから観客がおおと声をあげる。私もその迫力に思わず声が出てしまった1人である。

 しかしその中に1匹、餌が投げられても全く微動だにせず、飼育員のそばできっとしているカメがいた。何度餌をあげても全然食いつこうとせず、ついには飼育員の側からそのカメに餌をやりに行く始末。まったく、とんでもないKYである。だがしかし、私はこのカメをみて奇妙な気持ちになった。この様子、小学生時代の私にそっくりだ。私は、今はだいぶマシになった(と自認している)が、小学校時代は飛び抜けて協調性がなかった。しかし中学受験時代の恩師の存在もあり、中高浪で世間一般の「普通」を学んで、以降それを実践するようにしている。世間の感覚を学んでからはだいぶ社会に、そして組織に馴染むことができる体質になったと思う。さて、話を戻すと、私はウミガメのショーを見ながら、もし私がカメに産まれていたら多分こんなことしてんだろなぁと思った。ショーで周りと違う行動をとり、結果として微妙な空気を生み出してしまう(ショーでも実際微妙な空気になっていた)。だがこの行動を起こす心境としては、決してわざと目立とうとしているわけではない。周りに故意に迷惑をかけたいと思っているわけでも決してない。かと言って協調しないことによる背徳感を味わっているわけでもない。ただ純粋に、自分でこれが正しいと思う行動をとった結果なのだ。誰が通じ合える仲間はいないだろうか、この体質、この感覚を。まぁともかく、気づけば私は1匹餌やりショーで白けているウミガメに過去の自分自身を重ねてしまっていた。飼育員のトークなど一切耳に入ってこない。ただひたすら、過去の自身をカメに投影し、反省していた。そんなことをしていたからか、ショーが終わった後も私はしばらくその場に立ちすくんでしまった。

 

2、編集後記

 ここまでだらだら文を書いてきたが、ともかく私は魚や生き物、特にペンギンを見ると気持ちが落ち着く。精神安定剤として水族館は今後も利用しよう。

 平日に行ったせいかもしれないけど、姫路市立水族館はめっちゃ空いてました。あと入館料520円です。めちゃ安い。

 

あとは特筆することありません。普通に帰省してました(?)

 

以下雑記

 

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↑水族館で圏外判定出るRakutenMobileクンさすがに無能すぎんか

 

 

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↑住宅街に潮の匂いがする❗️この街好き❗️

 

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↑故郷の海。だがお世辞にも綺麗とはいえない。対岸に見えるのは淡路島。

 

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アクエリアスニューウォーター。評価は当然0点。アクエリアス君、キミだけは糖質0になってはいけない。キミは長所を失ってしまった。まるで2018年の多田修平みたいな味がした。

 

 

※ちなみに帰省先は姫路市ではありません

 

東京旅行記

1人で行動してたときの備忘録です。ただの自己満記事なのであしからず。

 

内容:8月4日(金)〜8月5日(土)

 

4日、だいぶ夜遅くに家を出た。難なく京都駅に到着。ここから夜行バス。

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↑夜の京都駅

 

 発車時刻は23時30分。椅子窮屈だけど眠気もきてるしなんとかなるやろ!wって思ってたけど全然眠れんかった。仕方なく普段眠りにつけない時によく聞いてる、夢咲楓の催眠音声聞いて寝ようとしたけど全然寝れなかった。そうこうしているうちに1時30分に。どこかわからんパーキングエリアに降りてストレッチをしたりした。

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↑ここどこだよ

 

 それからはタオル顔に巻いて目隠したら秒で眠れました。それでも短い睡眠の繰り返しだった。試行錯誤してると3時くらいから寝方わかってきてそこからは秒だった。そうこうするうちに最初の停留所高尾駅に到着。そして定刻よりたいぶ早くに新宿に到着した。正直めちゃくちゃ眠い。なんとなく外を歩きたくなった。

 というかそもそも予定より早く着きすぎたので渋谷まで移動して時間を潰すことに。とりあえずスクランブル交差点に行ってみたが、これが思いの外小さい。ほんで人もあんまおらん。まぁ朝6時半というのもあるのだろうがこの程度なら難波のあそこの交差点とあんま変わらんくね?って思った。

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↑写真外に路上で寝てる人めちゃいます

 

あと、朝の渋谷汚すぎ。朝の難波もまぁまぁキツイと思っていたが渋谷のそれは難波のこれを上回っていた。ゴミもニオイも人の民度も何もかもが桁違いだ。到着早々東京の【格の違い】をわからされた気がした。朝飯を食べていると時間が経って人通りが増えてきたので撤退した。

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↑新宿で鈴鹿央士のCM無限ループしてて草。応援してます。

 

次は13時半くらいだったかな。京王新宿に到着。

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 代ゼミ本部校ってほんまにでかいんやな。来世はここで浪人しよう。

 次にトー横キッズを見学しに行った。私はてっきり、広場には行き場を無くした人が無限に居座っているのかと思っていた。しかし実際には広場にトランスフォーマーの置物がデカデカと置かれてあった。そのためいわゆるトー横キッズと呼ばれる勢力は端っこに悲しく僅かに佇んでいた程度だった。その勢力は我らが大阪擁するグリ下界隈と大差ないもので、非常にあっけなく私には思われた。だが凄まじい存在感を放っていたのも事実である。栄華は一瞬で崩れ去る。全盛期トー横をこの目で見ておきたかったと思った。

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トランスフォーマーの置物。この辺えぐいニオイした

 

 次は靖國神社へ向かった。遊就館という、神社に付属している博物館の展示がとても興味深かった。

 

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↑入口すぐに五二型いる。思ったより小さい。

 

14時30分に入館して、閉館時間の16時30分まで見学していた。私はてっきり、ここには明治維新云々の展示しかないのかと思っていたが、実際にはヤマトタケルの時代から大東亜戦争終戦までの展示があった。とにかく量が多かった。また、吉田松陰直筆の書や、昭和天皇がお召しになられていた軍服など、とにかく展示品の質がエグい!個人的にはトラトラトラの原本の展示が一番すげぇと思ったかな。でも時間がなかって展示の全ては見れなかった。最後の方は結構はしょった。また来ようと思った。正直これまで訪れた博物館の類の中で1番内容が濃く、心に響く内容で、行く価値があった。行って良かったと思った。これで入館料500円は破格‼︎

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↑彗星思ったよりデカかった

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真珠湾9軍神ってコラ画像だと思ってたんだけどこれガチのやつだったんだね。一番ビックリした。写真で見ても良さはわからないと思う。実物を見よう。

それからは、まだ時間があったから皇居周辺散歩しつつ国会議事堂見てきた。やっぱ本物は違うネ。

 

総評

全体を通して、これまで自分がテレビや本でしか見たことない景色、建物を生で見れたのでとても興奮した。

正直東京に過度に期待しすぎていた節があったため所々あっけなく思う場面もあった。

標準語は不自然