同志社大学に晴れて(?)入学し、早くも春学期が終了した。備忘録を残しておく
0、プロローグ
共通テストは762点(京大配点)を記録し、最高の幕開けとなった2023シーズン。志望校を総人から法学部へ変更し若干計画は狂ったものの、同志社立命館をノー勉で無傷突破し、京大入試へ最高の調子で臨んだ。しかし数学大門2を解いている最中にパニックになって頭が真っ白になり見事大爆死。自分の力を過信しすぎていたこともあり47点差というこの上ないまでの大差落ちだった。全力で戦えなかったことを悔やむと共に京都大学という『関西最難関大』に挑むには自身の取り組みが甘かったことを身に染みて実感。生活習慣や勉強諸々への甘えた態度、なによりも自らの傲慢さに溺れ続けた浪人生活はあっけなく終了した。
↑数学云々というより全体的に点低いから何やっても落ちてたっぽい。ちなみに英作の「情けは人のためならず」のことわざの意味知りませんでした。
1、時の流れが異常に早い
去年浪人していた時は時の流れがあまりに遅いことに苛立ちを覚えていたが、今年は真逆だ。文字通り時の流れが非常に速かった。あっという間に春学期が終わった。
2、湧き上がる未練
京阪電車を使っている人は分かると思うのだが、実は京都大学と同志社大学の最寄り駅は同じだ。出町柳駅を降りて東に向かうのが京大生、そして西に向かうのが同志社生だ。そのため、入学当初は本当に毎日鬱になりながら登校していた。
正直こんなつまらない感情は1ヶ月もすれば消え失せると思っていた。しかし現実はそう甘くなかった。部活やサークルで京大生と交流するたび、授業や何かしらの機会で京大の名前を聞くたび、寒梅館で京大生をみるたびに、私はなぜか悔しさを覚えてしまっていることに気づいた。いまだに私の心の奥底には京都大学への未練が残っている。
だが、これは果たして学歴コンプレックスなのだろうか?多少そういう側面はあるだろうが一概にはそうはいえないと思う。学歴はその人の能力を測る指標だとはよくいったものだ。私も全く同意見である。私は人と会うたびに、どこか人をそういう目で見てしまうような体質になってしまった。これは本当に良くないと自分でも思っている。私は受験に敗北したとと同時に、純粋さをも失ってしまったようだ。
3、思っていたものと違う
大学生活が面白くない。面白くないというよりかは、去年の浪人生活の時に私たちは幻想を抱いていたのかもしれない。おそらく大学というものに極端にすごい何かがあると思っていたのだろう。今から考えるとまったく馬鹿げた話だが、浪人期の日記を読んでいると、私が大学に高望みをしていた過去がそこには残っていた。
ほかに、学部選びが適当すぎたという面もある。同志社大学の政策学部に在籍しているが、ここで学んでいる内容の全てについて全く興味がない。適当に出願したらこの大学へ行き着いた。浪人期の私は京都大学に落ちるとは1ミリも思っていなかった。教師や担任の前では弱気な姿勢を見せていたが、本心では確実に受かると信じていた。
4、危機感
言ってしまえば当たり前だが、小中高、そして予備校はやることが決まっていて、それをこなせばどうにかなっていた。しかし大学はそういう面では何も決まりがない。授業に行かなくたって罰則があるわけでもない。単位を落としたからといって教師に叱責されるわけでもない。今の私は完全に堕落しきってしまった。私は将来特に何かがやりたいわけでもない。目的のない日々を消化する毎日。今後の人生について非常に危機感を覚えている。