ジャガイモ飢饉

怠惰で強欲で傲慢な底辺ニートの戯言

悔やんでも遅い

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↑サムネ用





 従兄弟が某旧帝大の大学院に合格した。まことにおめでたい話であるが、私にとってこの知らせは、素直に受け止められるものでは決してない。


 私にとって従兄弟は、完全な上位互換だった。従兄弟は、小学生時代にオセロで都道府県内1位を獲得するぐらい頭がよかった。中学受験をし、某超有名最難関中学に合格。その学校の中でも学年2位を取ったことを昔聞いた記憶がある。私との相違点は勉学面だけではない。彼は明るい性格で、また話も面白い。そして友達も多い。特に空気を読む能力が高い。完全に私の真逆の存在である。以後彼は大学受験でも無双し、某最難関旧帝大へ首席合格した。


 話は変わるが、私は掘り下げていくと自分に自信がない。私の記憶する限りでは中学受験期にこの敗者メンタルは養われてしまったのだが、この“ハイスペック従兄弟”がこの私の深層心理を形成せしめた要因の1つであることは確実だろう。身近に自分より遥かに上の存在がいることは、私の自尊心を酷く傷つけるだけでなく、私を捻くれの道へと誘った。特に小学校時代の私は今思い出しても鳥肌が立つほどにひどく捻くれていた。当時の私は敗北を、現実を、そしてなによりも自分自身を受け入れられなかった。



 さて、大学受験も(一応)ひと段落したことだし、この長期休暇で私はこれまでの人生について振り返ってみた。すると、私のこれまでとってきた選択のほとんどには「自分は敗者側だ」という潜在的な敗北意識が含まれていることに気がついた。



 大学に入って、大学入学以降はとくに、自分の選択が今後の人生を左右するということに気がついた。大学入学前まで怠惰で堕落に満ちた生活を送っていたために、私はこんな当たり前のことに、19歳になるまで気づかなかった。いま私は今後の人生について大きく不安を抱いている。なぜならこれまで私が歩んできた道は自分自身の本心に基づく選択の結果ではないからだ。自分を過度に過小評価した結果の、偽りの自己の選択の積み重ねが今の自分を作り上げている。


 思えば自分の意思で大きな選択をとった経験がなかった。個人的に大学受験は自分の意思で志望校を選んだつもりだったが、実際にはその裏には親へのささやかな反抗があった(親は私に高学歴な大学に行けなど言ったことはなかった。むしろ産近甲龍レベルでもいいといった調子なくらい、大学受験に無関心だった)。



 もしもう一度大学受験ができるなら、余計なことを考えずに、自分が心の底から「行きたい!」って思える大学を目指して必死に勉強するよな。これができるのならば、どんなに嬉しいことだろうか。浪人期に代ゼミのMiracleTactics寺尾政晃先生がおっしゃっていた「勉強できる幸せを噛み締めてほしい」という言葉がふと蘇ってきた。でもこんなこと、ずっと前からわかっていたさ。