ジャガイモ飢饉

怠惰で強欲で傲慢な底辺ニートの戯言

仮面残留へ至る道

 仮面失敗!wとか言ってる場合じゃありません。ガチでやばいことになりました。どうしてこうなってしまったのかを、1年を振り返りつつ反省します。

 

1、同志社入学〜應援團入部

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↑この頃に戻りたい

 去年は、京大法学部に出願した。京大文系では法学部が一番最低点が低い。学部は気にせず、確実に受かるための選択をした。しかし結果は不合格。大人しく併願校の同志社へ進学することに。色々愚痴を言っていたが結果は変わらないので「同志社に馴染む」これを胸に大学進学した。部活は、せっかくなら面白そうな部活に入ろうと思い、応援団に入った

 

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↑応援団時代の私

 

2、応援団退部〜夏休み

 だが、応援団はかなり厳しい部活だった。近畿圏の応援団で1番強い応援団だけあって、その活動内容はあまりにもしんどかった。人生で一番厳しい時期だった。内容は思い出したくない。そんなこんなで応援団は6月にはやめた。

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↑応援団部室の写真

 その後は、かるたに興味があったため競技かるた同好会に入った。最初の方は結構参加した。だが、高校からかるたをやっていた人など上級者があまりにも多かったことから、周りについていける気がせず、(あと男がガチで少なかった)夏休み後半から行かなくなった。また、応援団を辞めてからは、個別塾でのバイトも始めた。でも、なんだかんだ大学で少しずつ友達もでき、少しずつ大学に馴染んでいった。

 

3、仮面開始

 大学に入ってからの日々はあまりにも怠惰すぎた。目先の目標もなく、ダラダラと毎日を生きていた。ふと、何かに熱中したいと思った。再受験をしたいとこの頃から思い始めた。また、業界研究をするという授業があったのだが、ここで私は同志社の就職の実態を知った。同志社の就職の実態は意外と渋い。将来の選択肢を広げるという意味でも本格的に京大再受験を考え出した。そして夏休みに京大再受験を親に請願した。

 9月から近所の有料自習室を契約して本格的に受験勉強を開始した。後期は週2でしか大学に行かなかった。大学がある日は、授業終わりに自習室へ直行、大学がない日は8:30-19:00まで自習室で勉強するという生活を続けた。10月にバイトを辞め、ここからはいよいよ全てを勉強に捧げた。勉強期間が半年しかないため、時間がない一方で、この短期間に一極集中すれば受かる可能性が十分あると考え、全力で仮面浪人に臨んだ。

 

4、受験到来

 志望学部は総合人間学部。国社をそこそこに仕上げて英数で押し切る戦略を早めに定め、その通りに勉強した。多分この戦略は間違っていなかったと思う。1月当たりから本格的に緊張しだした。共通テストの結果は128/150(総人配点)。若干ビハインドを背負ったがこれは想定内。足切りはまぁ大丈夫だと思った。通スト終わりから2次試験までの期間は、アホみたいに勉強した。学力が急激に伸びるのを実感した。最終本レや河合直前プレでも無双し、直前期は正直いけると思っていた。

 

5、受験当日

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↑当日は大雨で寒かった

 

 前回や前々回とは違い、死ぬ気で取り組んだため、文字通り京大受験生として遜色ない学力をつけて本番を迎えることに成功した。自信をもって試験会場へ向かった。気持ちの面で余裕があったので試験1科目目の国語はかなり良くできたと思う。

 午後からは数学。試験開始と共に、リラックスして問題を解き始めた。しかし、ここで問題が起こった。試験開始1時間経過時点で、1問も解けなかった。これは全く想定していなかった。頭が真っ白になった。正直終わったと思った。ここ3年の京大文系の傾向を見ると、総人に受かるためには他の科目でどこまで跳ねようとも数学では最低でも3問を合わせる必要があると計算していた。そのため、1時間時点で解答用紙全白紙は不合格確定を意味していた。だがそれでも諦めてはいけないと思った。気合いで1問解き切った。しかし解き切った時には残り期間はわずかしか残っていなかった。最後まで異次元の粘りを見せたものの、どれも完答するには至らず、部分点狙いの記述にとどまるだけだった。

 試験後は何も考えられなかった。絶対落ちたと思った。試験前はかなり自信があったのにこんなに早く状況が変わるとは思っていなかった。これは私の落ち度なのだが、模試でも数学は得点源だったので数学で大コケすることは一切想定していなかった。

 2日目は緊張もクソもなかった。早く終わってくれと思いながら試験を受けていた。まぁそれも相まって英語社会は普段の実力が出せたと思う。良いんだが悪いんだか。こんな感じで私の仮面浪人生活は終わりを迎えた。

 

6、受験終了後

 すっかり燃え尽きた。何をする気力もない。怠惰な時間をひたすら過ごした。将来についてをずっと考えていた。2週間で大回り3回やった。

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↑大回りで大雪遭遇in近江塩津

 

7、反省

 数学で全てを失ったとしか思えない。浪人界隈を見ていると、私と同じように数学激難化を嘆くツイートで溢れている。

 ここで疑問なのだが、今年数学が難化したという主張は果たして正しいのだろうか、考えてみよう。今年の京大文系数学の全体に言えるのは「パッと見平易に思えるけどいざ解いてみると上手く解けなかったり、計算がかなり煩雑な問題」の集まりだったということだ。だがよく考えてみればこれこそが本来の京大数学ではなかろうか。思い起こせばここ3年が異常だった。高1でも解ける定積分が出題された2021、脳死計算で解けるベクトルが出題された2022、そして1-(5/6)nの2023。ここ3年の京大数学が平易すぎただけだったのかもしれない。ここ3年の京大数学は本来の京大数学の形とは大きく異なっていた。この“偽りの京大”を信じ込んだ我々受験生が煩雑な問題の演習を怠った結果、皆揃って爆死しただけなように思われる。そう、京大は何も悪くない。ただ受験生が悪いだけな気がする。

 要するに何が言いたいかというと、今年数学が出来なくて落ちたやつは、お前自身が悪いってこと!!!俺も含めて!!!!!京大に責任転嫁すな!!全部自分が悪いんだ!!!!!

 

8、今後について

 本音を言えば受かるまで京大を受験したい。“京都大学総合人間学部“には私を惹きつけるものがある。しかし私は3年連続で京都大学に落ちている。これは何か決定的な問題があるはずだ。なのでその問題を解き明かし、具体的な対処法を見出して問題を改善するまでは再受験はしないつもりだ。

 また、わたし自身視野が狭くなっている節もあると思う。しばらく大学受験から離れようと思う。最近資格勉強を始めた。また、私は海外留学もしてみたい。加えて、大学では新たなサークルに入り、交友関係を増やしたい。